2015年御翼12月号その2

神社仏閣に感謝する気持ちがあったから―― 横田早紀江さん

  

 38年前の1977年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母親・早紀江さんは、クリスチャンである。当時13歳だっためぐみさんが下校途中、新潟の自宅すぐ近くで行方不明になり、その後20年間、生死もわからず、何の手がかりもなかった。「その間、よく発狂しなくて、今日まで元気に守られて生きてこられたことは不思議で、自分でも分からない思いです。私たちはキリスト教の洗礼を受けて、たくさんの兄弟姉妹と一緒に祈り続けてまいりました」と早紀江さんは言う。結局、一九九七年一月、北朝鮮から脱北した元工作員の証言により、20年間行方不明だっためぐみさんが、拉致されて北朝鮮の平壌(ピョンヤン)にいることが判明した。
 めぐみさん失踪当時(1977年)、早紀江さんが弱っていると、いろいろな宗教家がやってきたという。中には、「ちゃんとたくさんのものを積めば、すぐ(居場所が)分かりますよ」などと、新興宗教独特の勧誘もあった。早紀江さんは、「そんなことは信じませんよ」と跳ね除けた。京都生まれの早紀江さんは、神社仏閣の中で育った。父親も信仰深く、キリスト教ではないが、毎朝毎晩「感謝致します」と、天照大神(あまてらすおおみかみ)にお参りをしていた。それが生きている信仰だと、早紀江さんは思っていたので、強引に勧誘する新興宗教にものすごく腹が立ったという。「こんな変な人たちに捕まっては大変だ」と。神道の祈りの基本は感謝であり、その謙遜さゆえ、早紀江さんはカルトを跳ね返す力が与えられ、やがてキリストの救いに至る。(カルトの定義=狂信的な崇拝、虐待的な人間関係〔殺人に至ることもある〕、違法行為を教義で正当化するような内容をもっている宗教団体をカルトと呼んでいる。)
 そんな頃、たまたま近くにいらした宣教師の家で「聖書の会」が開かれていて、めぐみさんの同学年の男の子のお母さんが出席していた。その方が、早紀江さんに「ヨブ記を読んでね」、と言って聖書を置いて行った。ヨブ記には、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる」(ヨブ記1・21)とあった。「主は娘をこのような私のもとに与えてくださった方であるし、取られることもあるのだ」と気づかされ、何か意味があるのだな、と早紀江さんは感じた。そして、見えることにばかり気を取られているようなこれまでの自分の生き方ではなく、見えないけれども、ものすごく大きな魂の世界の言葉ではないかと、受け止めたのだった。楽しいことも辛いことも、すべて受け入れなければならないのではないか、と理屈抜きで感じたのだった。それから必死でヨブ記を読み、自分はまだヨブほどの苦しみは受けていない、もしかしたら、自分もヨブの友人たちのように、ヨブのように苦難に遭っていないのに、ヨブをいさめたりするような人になっていたかもしれない、という思いになった。早紀江さんは、人間なら誰もが持ち合わせている原罪に気づかされたのであろう。その後は、ローマ書、ヨハネによる福音書、詩編などをずっと読み、打ち砕かれ、それでも希望を与えられた。
 早紀江さんは、その都度必要な御言葉によって養われ、導かれてきた。「めぐみを返してください」、という祈りに神はまだ応えてくださらない。しかし、失踪後20年たって北朝鮮にいると分かったことは、大きな祈りの応えであった。その後、拉致されていた五人が帰国、これも、神様からの時にかなった祈りの応答だった。また、めぐみさんの娘(横田早紀江さんの孫)と、更に、ひ孫(当時10か月)にまで会えた。「その都度、必要な御言葉が与えられる聖書は、どんな宝よりも、お金よりも、どんな素晴らしいものよりも、確実で平安で温かく、善に向けて歩ませてくださる。その言葉を信頼して一生を終えることができるということを、一番幸せだったと感謝しています」と、横田早紀江さんはインタビューに応えた。謙遜になっていた早紀江さんは、善の器となった。自己中心的なカルトは、悪の器となっている。

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